ビタミンの歴史は1911(明治44)年、米ぬか中にかっけを予防する新規成分が存在することを示した世界最初の論文が、鈴木梅太郎により発表されたことに始まります。この時点では成分の解明はできていませんでした。
15年後、オランダで結晶が分離され、25年後のアメリカで構造が決定されました。しかし、日本語の論文は国際的には認知されず、鈴木と競ったポーランドのフンク博士が、生命=Vitalとアミン=Amineから、ビタミン=Vitaminと名付け、世界的に広まりました。
執筆者略歴
たかはし・とうせい 東京農業大農学部栄養学科卒。東京女子医科大大学院修了。特定給食施設の現場で管理栄養士業務を経験した後、国立がんセンター研究所、東京農業大短期大学部講師を経て聖徳大准教授。2008年から現職。専門は公衆栄養学。医学博士。
摂取不足で?
ビタミンB1発見の数百年前、江戸では「かっけ」が流行していました。武士や町人の食生活が玄米から白米になり、ビタミンB1が不足したからです。症状は白米への切り替えが進んだ江戸を離れると回復したことから、かっけは「江戸わずらい」とも呼ばれていました。
明治時代には軍隊でも流行。1883(明治16)年、航海中の海軍の軍艦「龍讓[りゅうじょう]」内では患者が続出し「病者多く航海できず。金送れ」と本国に連絡する事態に。海軍軍医の高木兼寛は、栄養問題説を唱えました。一方、陸軍軍医の森林太郎(森鴎外)は細菌説を強く主張しました。
高木は乗員たちの食事調査を実施。貧しい水兵は、当時有料であったおかずの費用を実家に送り、おかわり自由の米飯(精白米)、漬物のみを食べていることが分かりました。それが問題だと捉えた高木は、練習航海中、乗員におかずの摂取を指示しました。結果、かっけ死者・病者1人もなし。食事での改善効果が大きいことを証明しました。高木は日本で最初に「EBM」(科学的根拠に基づいた医療)を行い、病気の予防に努めた人と言えるでしょう。
白米主義に徹していた陸軍は、日露戦争での戦死者よりもかっけの死者数が多くなる大打撃を受けました。
糖の代謝に重要
ビタミンB群にはビタミンB1(チアミン)、B2(リボフラビン)、B6(ピリドキシンほか)、B12(シアノコバラミンほか)、ナイアシン、葉酸、ビオチン、パントテン酸などがあり、全て水溶性です。体内の各種酵素の補酵素となって代謝の維持に役立っており、いずれも糖の代謝に重要です。
不足すると、食欲不振、疲労感、腱反射減退、心臓肥大、浮腫など、かっけの症状が出現。特に脳、神経系では糖が主要なエネルギー源であるため、不足の影響を受けやすいと考えられています。
また、ビタミンB1はイオウを含む無色の化合物であり、中性、アルカリ性の水溶液中では不安定で加熱などで分解されます。淡水魚や貝類にはビタミンB1を分解する酵素がありますが、加熱により酵素活性はなくなります。腸内細菌の一部も分解酵素を持つことが知られています。
多く含まれる食品は穀類、豆類、肝臓、肉など。穀類では特に胚芽やぬか部分に多く、精白米では含量が著しく低くなります。肉では、豚肉に多いことが知られています。
過剰摂取による健康障害
『日本人の食事摂取基準』(2015年版)=表=では「通常の食品で可食部100 g 当たりのビタミンB1含量が1mg を超える食品は存在しないため、通常の食品を摂取して過剰摂取による健康障害が発現したという報告は見当たらない」とされています。
ビタミンB1は、体内でリン酸化合物のチアミン二リン酸(チアミンピロリン酸)となります。成人が50mg×体重(kg)=3000mgを超えるチアミン酸塩酸を慢性的に摂取すると、さまざまな毒性を示唆する臨床症状を示すことが報告されています。
例えば、チアミン塩酸塩10gを2週間半の間飲み続けたら、頭痛、いらだち、不眠、速脈、脆弱化、接触皮膚炎、かゆみが発生。摂取を中止したら、2日間で症状が消えたことが報告されています。しかし、データが十分ではないので、これ以上摂取したら危険(なるべく近付きたくない値)とされる耐容上限量は設定されていません。
だからといって、いくら摂取しても良いわけではありません。「過剰摂取による人体への影響を示す十分なデータが今のところない」ということです。同様に生活習慣病とのつながりでも、発症の予防、重症化の予防と関連する論文はみられませんでした。
いかがですか?まとめると、ビタミンB1は①補酵素として糖の代謝に関与している ②不足するとかっけになる ③過剰摂取で症状が出る―が、一般の食品を摂取している分には問題なさそうです。サプリメントなどを一度に大量摂取すると症状が出る可能性があるので注意してください。