―DPATとして、クルーズ船でどのような医療活動を行いましたか。
国の要請を受けて派遣されました。クルーズ船では、飛び降りなどを考えてしまうような精神的な重症者の抽出方法に苦労しました。他の災害では、支援が必要かどうか評価するスクリーニングシートでの抽出や掲示物を使用した注意喚起などを用いましたが、今回はスマートフォンを用いた遠隔抽出する方法をとりました。メンタルに不調が見られる人を浮き彫りにし、個別に電話対応、防護服での面談を実施しました。
―船内ではどのような精神的な問題があったのでしょうか。
三つのフェーズ(局面)がありました。まずは「薬がなくなった」ことで、寝られない、不安だという声です。もともと精神的な不安がある人が、実際に薬がないことで症状が現れるケースがありました。
次は「患者の搬送」です。夫婦で旅行に来ていたのに、相手が陽性の診断で船外に出て取り残され、愚痴を言うこともできなくなって孤立してしまう。また、濃厚接触者でもあり、感染の不安もありました。
最後に乗客と異なり、介入することがとても難しかったのが、従業員でもある「クルーの支援」です。支援者でもあり、被災者でもあるクルーの方々は非常に頑張っていました。そのため、過重労働となり、精神的な負担もかなり大きくなっていました。現在は、その立場が医療関係者に移っています。一般的な病気に加え、感染リスクを負いながらの治療や看護は、相当のストレスがかかり、医療機関は悲鳴を上げています。
―さまざまな災害支援を経験された中で、今回の感染症が違うと感じる点は。
人や地域によって災害と認識するまでの時間が全然違う。地震や津波、台風では道路や建物などのインフラがダウンしますが、感染症は可視化しにくく、じわじわ進行するため、いまだに災害のスイッチが入っていない人もいると思います。
第1の感染は、身体的な感染。第2の感染は、不安などの心理的な感染で多くの人が今抱えている問題だと思います。第3の感染は、風評被害や差別などの社会的な感染です。地震や台風の災害支援から帰って来た時は「よくやった、お疲れさま」などのねぎらいの言葉を掛けてもらいましたが、今回は違いました。国からは就業制限はないと言われましたが、感染を持ち込んでいるのではないかという周囲からの不安があり、診療を自粛し、自宅に2週間帰らずホテルで過ごしました。